SHOUMOU NO HIKARI / CHAPTER 02

1971年、日本は加速していた

1971年。日本はまだ、成長を信じていた。
高度経済成長の熱量は街を広げ、人を動かし、産業を生み、生活を変えていった。 その時代に生まれた世代は、加速する都市の空気を身体で吸い込んで育っていく。

Acceleration

日本全体が、“前へ進むこと”を信じていた。

1970年の大阪万博。その熱狂の余韻を残したまま、日本は次の時代へ進もうとしていた。 高速道路が伸び、新幹線が走り、郊外には団地が広がる。 ファミリーレストラン、外食産業、コンビニ、流通。 “便利になること”が、未来そのものだった。

人は長く働き、街は遅くまで明るかった。 昭和の日本には、「豊かになる」という共通目標がまだ存在していた。 その熱量は、今振り返れば驚くほど強かった。

都市は、希望の象徴だった。
だから人は、疲れることを止めなかった。

Generation

ベビーブーム世代は、“加速する社会”の中で育った。

1971年生まれ。いわゆる団塊ジュニア前夜。 学校には人が多く、受験競争も激しく、都市はどこへ行っても混雑していた。 けれど、それを窮屈だとは思わなかった。 みんな同じ方向を向いていたからだ。

夕方まで遊び、テレビを見て、歌謡曲を覚え、ファミレスに行く。 家族で外食すること自体が、まだ少し特別だった時代。 “豊かさ”が、少しずつ日常へ降りてきていた。

郊外化

団地、ニュータウン、ロードサイド。都市は外へ広がり、家族単位の生活が形成されていった。

外食文化

ファミレス、ハンバーガー、チェーン店。外食は特別から日常へ変わり、日本の風景を変えていった。

大量消費

テレビ、雑誌、広告、流行。情報と商品が大量に流れ込み、“みんな同じものを見る時代”が生まれた。

Urban Heat

成長の熱は、都市に独特の空気を生んだ。

昭和の都市には、独特の熱気があった。 人が多く、店が密集し、駅前には必ず商店街があり、喫茶店があり、ゲームセンターがあり、ネオンがあった。

そこには、今より不便も多かった。 けれど不便さの代わりに、人の密度があった。 立ち話があり、待ち合わせがあり、偶然があり、寄り道があった。

つまり昭和の都市は、効率だけではできていなかった。 人が滞在し、時間を使い、街の中に余白が存在していた。

Timeline

1971年前後、日本の風景は大きく変わり始めていた。

1970|大阪万博 「未来」が国家規模で提示された時代。技術、都市、消費社会への期待が、日本全体を包み込んでいた。
1971|加速する都市生活 外食、郊外化、自動車社会、流通網。生活インフラが急速に整い、“便利な暮らし”が一般化し始める。
1970s|大量消費文化の定着 テレビ、雑誌、広告、歌謡曲。全国が同じ情報を共有し、日本独特の都市文化が形成されていった。

Exhaustion

しかし、その成長は、“消耗”の上に成立していた。

日本は豊かになった。 けれどその裏側で、人は長く働き、企業戦士という言葉が生まれ、休むことは美徳ではなかった。

学校も、会社も、街も、常に前進を求められた。 成長を止めることは、不安だった。 だから人は、少し無理をしながら走り続けた。

昭和の光は、本物だった。
だからこそ、その裏側には本物の消耗もあった。

To The Next Chapter

やがて東京は、“世界でもっとも眩しい都市”へ向かっていく。

1980年代。東京はさらに加速する。 青山、外苑前、表参道、渋谷。 DCブランド、PARCO、ネオン、カフェバー、深夜のタクシー。 バブルは、昭和の熱量を都市の光へ変えていった。

次章へ

第三章では、外苑前・青山・表参道を舞台に、バブル期の東京が放っていた“都市の光”を見つめていく。

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